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違って当然の「他人」と関わっていくには、

Cocolog_oekaki_2012_11_29_23_48
この曲聞いてるとお風呂入りたくなるw(-ω-*)



こんばんは凪です
早急にうpしたいと思っている記事が中々仕上がらずに苦戦しています;
個々人に対する発信になりそうだから、というのもあるけど
結局私が一番言いたいのはなんなのか、伝えたいのはなんなのか
長くなるにつれてだんだんとズレてしまう。。
「このブログで」述べることも必要だと思っているので
なんとか完成はさせるつもりですが
お宅訪問で残した方が速そうな気がしてきた^^;


以前、「電子媒体コミュニケーションについて」の話をしたことがありました。
ネットを通じてやりとりをすること――
それはリアルでのコミュニケーションよりも、より難しいものです。
自分の受け取り方の正しさを判断できる情報が少ない上に
自分の発信が相手に正しく通じたかを知る手段も、ほとんどないに等しい。
誤解を生むことも少なくない、本当に伝えたい事も伝わってないことがしばしば。

だからこそ、リアル以上に気をつけなきゃいけないのでしょう?

過剰になれとは言わない、自分の言いたいことをいつも我慢しろとも思いません
でも、私達が常々忘れちゃいけないのは
ネットもリアルと同じで、血の通った人間同士のやりとりだということです。
画面の向こうにいるのは、自分と同じ、「心」をもった「人間」だということです。
それは、直接やりとりしている本人同士だけではないよね
ネット上に公開してあるということは、「それを見る人」も必ずいるはずだ。
間接的かもしれませんが、そこにも確かにやりとりは発生します。

人同士でやりとりをする時に必要不可欠なもの――
それは何よりも相手への心遣いだと私は思います。
余程曲がった人でなければ、自分がされて嫌なことを人にしようとは思いません。
敢えて不快にさせるだろうことは言いません。

「自分と違う“相手”」を認めることは、否定するよりも難しいことでしょう。
時にはどうしても譲れないという場面もあるかもしれませんが
世の中に「あなたと全く同じ」人間は、はたしてどれくらいいるのでしょうか?
少なくとも私は、私が生きている間に
そんな「自分みたいな誰か」に出会うことはまずないだろうと考えてます。
「違い」を認めなければ、生きられる世界はどんどん狭くなる。
そのうち息が出来なくなってしまう。。
「違いを認める」とは、「自分を我慢する」とは違いますよ。


…とりあえず、今思ったことだけ。
自分で生きる世界を縮こめたら勿体無いよ。
広い世界の中で、「自分の為の城」は一カ所あれば
それで十分なんじゃないかしらね?

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コメント

いつも読み逃げで失礼しています。共感する文章だったのでコメントさせていただきます。

そうですよね…ネットって本当にリアルの人より色々な職業や趣味、考え方の人が集まっていますよね。しかも相手の顔は見えてないし…どんな方なのかリアルより分かりにくいところもあると思います。

なによりネットって本人が削除するまで永久に文章残りますものね。全く知らない人も尋ねて来ると思います。リアルでは記憶にしか残らないような言葉でも、ネットでは見た人の記憶とネット上に目に見えるもので残ります。顔が見えないネット上だからこそ存在するマナーや心遣いというものが必要なのだなと思いました。

自分の意見を発信するというのも大切ですけど、他の方が発信したものを見て、こういう考えがあるんだと自分の考えを広げる機会ができるのもネットの交流の醍醐味ですから、そういうことを考えて発信できたらもっと皆で楽しめるなと思いました。

私自身(リアルですが)今まで生きてきて、価値観が違うなという方々とたくさん出会ってきました。共感してもらえることもあるけれども、間逆の意見を持つ方もいました。でも、それで「価値観が違うから」と相手を拒否したらそこから何も進展しないと思い、「こういう考えの人もいるんだ」と相手の意見を受け入れてみると、人の考えも受け入れられ、違う見方で見ることができるようになったと思います。

ネットで活動をしたことはありませんが、ネットの心遣いを忘れず、違った考えを受け入れて、自分の考え方や物事の見方を広げて楽しんでほしいと思いました。

何か言いたいことだけいっちゃいました。乱文失礼いたしました。

投稿: 水龍 | 2012年11月30日 (金) 00時28分

水龍さん>
こんばんは、コメント有難うございます^^

現実社会で十人十色な訳ですから、ネットでも同様のことが言えるのは当然ですよね。
しかし水龍さんが仰るように、基本的に相手の顔は見えないし…
結局は相手と、自分の受け取り方の正しさを信じるしかない。。。
そんな不確かな要素の中で、ネット上ではやりとりをしなければなりません。

文章という形に限って言っても、感情の適度な表現はより難しいものだと思います。
それゆえ受信者にどう伝わるかは、受信者側の受け取り体勢にも大きく左右される。
受信者に初めから「そこに込められた心を汲み取ろう」という気持ちがなければ
文章は言葉でもなくなり、ただ意味のない記号の羅列に成り下がってしまいます。

ブログの様な場は、どうしても発信者が主体になってしまうものです。
発信したいものがあるからこそ、各々ブログ借りて記事を書いてる訳ですが
自分でひっそりとつける日記とは違い、それを見ている「受信者」の存在がいること、忘れてはいけないですよね。
何のために、何を発信したいかは人によりけりに違いないですが
自分の主張を叫ぶにしろ、他者と関わることが必然ならば心遣いは不可欠だと感じます。

価値観の相違から生じる批判は、他人と関わる限りどこかしらで生まれるものでしょう。
それを拒絶するのは簡単だけど…
水龍さんの様に受け入れられれば、視野を広げる大きなチャンスになりますよね^^

投稿: なぎ | 2012年11月30日 (金) 01時26分

HPを始めてから、ネットで活動して10年になりますが、ココログの広場で多くの方々と接することになってから、よりネットで交流していく立ち振る舞いについて考えることが多くなりました。

突き詰めていくと、ネットでもリアルでも、人との関り方に対する姿勢の根っこは同じだと思うのです。

言葉の重みについていつも考えています。
言葉は鏡のようにその人の姿を映し出して、人間性が出ると思います。
生まれてからこつこつと育んできた言葉は、その人のいきてきた姿そのものを表現しているのではとも思うようにもなりました。
言葉は使い方によっては、人を幸せにしたり、人を傷つける凶器にもなる・・・。
今までのネット活動を振り返ると、自分はそのつもりじゃなかったけれど、実は相手を傷つけていたと後で気がついた事もあったし、その逆で自分が傷つく事もありました。
そういう失敗の経験を重ねたからこそ、相手に対して言葉を大切に紡いでいこうと思うのかもしれません。
日々思うことは、相手を思いやる気持ち、尊敬する気持ちを持って交流をしていきたいです。
とくにこのネットの活動で、相手と価値感や主義がたとえ違ったとしても、その相手の存在を否定するような発言はしないようにと思っています。

投稿: はるる | 2012年12月 1日 (土) 02時24分

はるるさん>
コメント有難うございます^^*

ネットでもリアルでも、人との関り方に対する姿勢の根っこは同じ。
本当に私もそう思います。。

言葉とは不思議なもので、
同じ文章を読む時でも、その時の心持ちや、受け取り姿勢が違うと
感じ方や印象ががらりと変わってしまうことがありますよね。
使い方だけでなく、受け取る側によっても「薬」となるか「毒」となるか左右される
言葉の持つその重みを頭に入れておくことも、人と関わる上で大事ですね。。

自分と違うモノだからと、片っ端から排除して行ってしまったら
いつかひとりぼっちになってしまいます…。
人を豊かにするのに、他者との関わりはやはり不可欠なものです。
思いやりと、尊敬する気持ち…私も忘れずに活動したいと心から思いました(v v*)

投稿: なぎ | 2012年12月 1日 (土) 12時59分

> ネットもリアルと同じで、血の通った人間同士のやりとりだということです。

そうですよね。

ボクなんか、実生活と同じように不義理ばっかりで……(--;)
だから、あんまり大きなこと言えないんですけど、

ネットの匿名性に乗じて
勝手放題する人もいるようだけど、
考えて欲しいですよね。

投稿: うさぎさん | 2012年12月 1日 (土) 18時06分

うさぎさん>
それを言ったら、私も決して完璧な人間ではありませんからねー^^;
そんな奴に言われても説得力ねぇよと思う方も
当然いらっしゃるでしょう。

ただ、皆が心地よくネットで活動できる為にも
一人一人が、少しでも自分の「態度」について考え直すきっかけにしてくれたら
私も嬉しい限りです。。(v v*)

投稿: なぎ | 2012年12月 1日 (土) 22時44分

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